DJ Mag 創刊25周年に伴い、時代の一線を駆け抜けた音楽プロデューサー・DJ達からコメントをたくさんもらった。25年前と今をつなぐ出来事とは?

 

Armin Van Buuren

アーミン・ヴァン・ブーレン


常にDJ Magはダンスシーンの第一線に立ってきた。新しいDJや、クラブ、そしてトレンドにいち早く注目する存在の一つ。 そしてもちろん、DJ Magのランキング投票は世界で最も重要なDJランキングとして広く知られている。 僕のキャリアの成功も、DJ Magのランキング投票のおかげといっても過言じゃない。5回1位を獲得したことによって、多くの道が開けたからね。


Q. ここ25年、ダンスシーンでの最も重要な出来事は何ですか?

DJは『バーテンダーの後ろにいる人』という存在から、ダンスフロアで起きる全ての中心人物という存在にまで成長したよね。それが良いか悪いかは置いといて、DJは彼らの独自の活躍の場所を見いだし、時にはロックスターやバンドよりも需要が生まれるようになった。それは別に彼らが有名になったり、良くなったりするわけじゃない。全く違うジャンルだから。また、僕たちはアナログ(ヴァイナルレコード)からデジタル(USB)に変わり、スケールが大きくなったよね。もちろんそれによって多くの商業主義を引きつけてしまい、それは常にポジティブなことじゃないけど、そうなってしまったものは仕方がないよ。フィーリングは全く変わってないしね。ハウスはまさにフィーリングだよ!

Carl Craig

カール・クレイグ


これから数年のうちに誰が有名になるかですか?

未来を予測することは不可能だし、様々な要素があるので、何とも言えない。僕はどちらかというと、ヒップホッププロデューサーのダンスミュージックでの一度限りの人気の方がありえると思っていて、例えばJ Dillaの『Big Booty Express』のように。なので、予想を立てるとしたらKarriem Rigginsかな(笑)。彼はデトロイト出身で、Dillaのアルバムの一つに着手し、僕と一緒にDetroit Experimentプロジェクトにも専念し、Kanye West(カニエ・ウェスト)の最新アルバムの中の一曲を担当した。次に彼が何を思いつくのかとても楽しみにしているよ。また、僕はKyle Hall(カイル・ホール)とJay Daniel(ジェイ・ダニエル)も高く評価していて、彼らにも明るい未来があると思うよ。DJ Magは常に重要な情報源であり評価の拠り所だよね。これはマイアミのWMCでは特にそうだった。アメリカではMixmagとMuzikを入手することができなかったけど、DJ Magはゲットすることが出来たよ。マイアミに行って、DJ Magにはニューヨーク、デトロイト、そしてシカゴのすべてのアーティストとレコードがフィーチャーされていた。今は昔とは違って、ネット上に過剰なほどの情報が溢れているけど、DJ Magはダンスミュージックの一部で、その中でとても重要な情報源であり続けているよね。

Carl Cox

カール・コックス


ここ25年、ダンスシーンで最も重要な出来事は何ですか?

何よりも、世界で起きていることに皆が繋がっていることだと思うね。昔は何が起きているか知るためには言葉を交わすしか手段がなかった。でも今では中国だろうか、アメリカだろうが、ロシアだろうが、どのイベントにも誰でも参加できる。インターネットで何があるのか検索して、何に参加できるのかすぐに分かる。僕がDJを始めた頃は、ブリクストンを離れるのが怖かったよ。自分がいるところに落ち着いていたかったんだ。去年、アムステルダムでプレイして、Awakeningsには少なくとも500人ものイギリスからの人々が居て驚いたよ。ここでも他にも沢山のイベントが開催されているからね! でも彼らはダンスシーンの一部になろうとどこへでも旅へ出るよね。多くの人は何があるのか分かっているから旅をするのだと思う。休暇だったり、レビューを読んだり、ホテルに泊まったり。昔僕たちはそんなことは出来なかった。イベントがあるというメッセージを受け取って、車に乗り込んで、急いでそこまで運転しても、M25の外のただのぬかるんだ野原に到着する。今ではテクノロジーのおかげでDJ Magはダンスシーンを完璧に把握し、すべてを体験出来ている。おかしなことは、この雑誌の始まりがただのDJギアのことやDJが副業で何をしているかについてだったことだよね。それからレイヴシーンが広まり、DJMagも成長して、話す事は山ほどあるよね。まだダンスシーンは勢力も強く、そしてDJ Magもまだここにある。特にTop100はDJの聖書のような存在で、長年に渡って使われてきた。レビューのページは常に何を聴くべきか教えてくれるガイドで、僕が雑誌を買った時、自分がレビューされているか、そして何を聴くべきかチェックするためにいつも最初に読んだページだった。ギアのページもまだ大好きだけどね。

Cold Cut

コールド・カット


DJ Magは常にメインストリームの先を見つめ、Ninja Tuneなどのオルタナティブレーベルとそのアーティスト達をサポートし、常に変わりゆくダンスシーンの中で一定性を保ってきたね。それは尊敬に値するし、マラソンのよう。Frankie Knuckles(フランキー・ナックルズ)が言っていたように『強者のみが生き残る!』だね。最新技術の記事も楽しく、新製品についていく手助けをしてくれる。いつもDJ Magがミュージックラバーにとっての一番の雑誌だと感じているよ。


ここ25年、ダンスシーンで最も重要な出来事は何ですか?

テクノロジーがエレクトロニックミュージックシーンを動かし続けていることだね。誕生した頃からそうだった。ソフトウェアシンセサイザーが利用できるという事は、誰もが303のサウンドをオリジナルに1000ユーロも払わずにできるという事。民主化のプロセスには二つの側面があって、誰もが音楽を作ることが出来る時代だから、誰でもそれに気が付けるでしょう?なので、製作と分配、独占販売でさえ難しくなり、障害はプロモーションと可視化に移ったよね。ある意味これは問題で、一番上手で声の高いセルフプロモーター達と何でも巨費を払って得ることのできるメジャーなレーベル会社にとって有利な場所となったよね。僕が特に嬉しかった一つの出来事は、エレクトロニックなビジュアルとエレクトロニックミュージックの融合が受け入れられるようになったことかな。VJ(ビジュアル・ジョッキー)の仲間達が、世間には受け入れることに対する違和感がまだあったにもかかわらず、本当に大変な思いをして働きかけてきたことが嬉しいよ。

David Guetta

デヴィッド・ゲッタ


間違いなく、エレクトロニックミュージックシーンの中でテクノロジーとインターネットが発展を遂げたことが一番重要な出来事だね。製作とパフォーマンスのためのテクノロジー、プロモーション、楽曲の共有、新しい曲の発見、ファンとの繋がり、世界でのコミュニティー構築などのためのインターネット。他のDJと繋がったり、世界中の人気なものを見ることが出来る。昔はDJとして、ビニルレコードを専門ストアで探さなければいけなかった。数は限られていたし、それと同時に自分の心を信じて、自分の耳だけに頼れば良かった。ミックスの技術はもっと困難だったけどその技術を学べた。それからCDとCDJが登場して、DJ達はもっと複雑なことをできるようになり、今では技術革新のおかげで多くの楽曲を小さなUSBに保存することができるようになり、ライブパフォーマンスでもっとクリエイティブになることができるようになったよね。フェスイベントはコンサートのようなもので、お客さんは自分が作った曲を聞きに来てくれる。DJ Magは現在のテクノロジーが無かった時代の聖書のような存在だった。まだアンダーグラウンドのストリートカルチャーだったときに、最新曲を知ったり、どのクラブ、イベント、DJ、サウンドが人気なのか調べるための必須の雑誌だった。Top100はFacebookフォロワーや、チケット販売、Twitterなどがある前、プロモーターにとっての絶対のバロメーターだったよ。もちろん、特に人気が出だしている才能にとっては、今でもまだ価値はあるよね。自分が一位まで到達したときは、本当に誇らしい快挙で、その頃自分のソーシャルメディアはまだ知られたばかりだった。だから世界的なヒットはなかったし、当時は平等な土俵で誰もがプレイしていたよね。DJmagはデジタル時代を受け入れ、DJコミュニティーに貢献し、今では更に幅広い読者向けなメディアになっているよね。音楽オタクだけではなく、世界中の音楽愛好家が情報に触れることができる。

Danny Tenaglia

ダニー・テナグリア


DJ Magはダンスミュージックカルチャーの聖書のような存在。もちろん、他にもたくさん素晴らしい雑誌はあるけど、僕に取ってはDJ Magが最初だったね。表紙から最後のページまでの色んな形で僕の趣味に合い、僕のためにあつらえているかのように感じていたよ。音楽だけではなく、世界で他のDJが何をしているのか、どこに人気の会場があるのかなどを知る手助けをしてくれた。20年前だったら、ブルックリンで育ちながら、きっとイビザ島という単語を知ることはなかったと思う。DJ Magが自分のように新しい曲、アーティスト、ギア、DJのプロフィールについて知りたいと思っている人が沢山世の中にいることを気づかせてくれて、プロである自覚を感じさせてくれた。また、若い20代として、親が『ダメ!』と言おうが、自分が没頭していることが真っ当であることだと教えてくれたよ。

Fatboyslim

ファットボーイスリム


ここ25年、ダンスシーンでの最も重要な出来事は何かですか?

難しい質問だね! 色んなことがあったからね。デジタイルファイルによって音楽は転送が楽になり、得るのも簡単になった。また、ミックスとリエディットについては、DJは単に一つの曲を他の曲に(しかも手で)ミックスするだけではなく、更にもっとクリエイティブになれるようになったよね。多分インターネットが一番大きな影響だったんじゃないかな。何よりもまず、人々はこの音楽を幼い頃からナイトクラブに行かずとも聴くことが出来るので、彼らは合法にクラブに行ける年齢になる前からダンスミュージックとDJに親しむ事が出来るているよね。これがダンスミュージックシーンの大きな成長へと繋がったと思う。もう夜中の飲んだくれのロクでもない人達のためだけではない。僕たちの音楽はすべての人のためにある! インターネットが普及する前は、DJ Magはシーンのすべてのコミュニケーションの中心にあった。金曜日の夜にあるRadio 1のJeff YoungかPete Tongの2時間の他に、口伝えでしか新曲、ファッション、DJについて知る術がなかった。それかロンドンに住んでいたらPirate Radioもあったね。僕みたいな人達は表紙から最後のページまで流行に遅れないように必死で呼んでいたよ。長年に渡って、DJ Magは何が起きているかのバロメーターで、業界を形作り、築く手助けをしてきてくれた。

Goldie

ゴールディー


この分野の歴史的出来事には記者が必要だし、それより重要なのが、初心者のための登竜門が必要。雑誌やウェブサイトはしばしばその役割を担うけど、DJ Magはそれをスタイリッシュにこなしてくれた。


ここ25年、ダンスシーンでの最も重要な出来事は何かですか?

「インターネット世代」から生まれた一番エキサイティングで最高の出来事は、ジャンルが曖昧になってきたこと。僕たちは皆すべてのるつぼのような同じ曲に合わせてダンスするようになった。その後ジャンルやサブジャンルが誕生し、分派するようになり、そして現在ありがたいことにその境界はまた無くなってきたように思うね。人々は自分のプレイリスト上でドラムンベースからテクノ、ギター音楽まで選び、そのオープンになってきている事がどのシーンでも重要だと思うね。

James Zabiela

ジェームズ・ザビーラ


DJ Magは将来有望なDJやプロデューサーをサポートし、育て、光を当てて、これからもそうするだろう。自分をカバーに載せてくれた最初の雑誌で、いつまでも感謝したい。最近では、雑誌がラテンアメリカなどの地域まで規模を拡大し、エレクトロニックミュージックの素晴らしさを世界中に広めているのが嬉しいよね。


これから数年の中で誰が有名になると思いますか?

僕のレーベル、Born Elevtricから曲を出しているシェフィールドのPedramという名のDJ/プロデューサーが今年ますます力を増して行くと思うね。彼の新しくリリースしたものを聴いたけど、間違いなく格別なものだから、彼の曲を皆さんが聴くのを楽しみにしているよ! 表紙に彼を載せてあげてください!

Jeff Mills

ジェフ・ミルズ


ここ25年、ダンスシーンでの最も重要な出来事は何ですか?

沢山あり過ぎるけど、最も重要な出来事の一つはモジュラーシンセの復活と器機の小型化だと思う。今ではピンからキリまでお手頃なギアがある。これによって多くの人がこのジャンルに手を付けることができるようになり、最新器機とテクノロジーの流行に付いて行くことができるようになったよね。そうでなければ破産してしまうから。特にイノベーションの先を行っている時は楽曲発表が重要。ジャンルの限界に挑戦している人達もね。その時、人々は情報やアップデートを求めるから、発表には意味がある。でも雑誌がシーンの力関係を創り出していると勘違いしたり、『キャリア構築』に走ってしまうと、ジャンルと読者の不満へと繋がるよね。僕はDJ Magのような雑誌は、ひいきに対して常に公平である強い責任を持つべきだと思っているよ。

Jamie Jones

ジェイミー・ジョーンズ


何かをオンラインに上げてもリスクはない。だから自分があるアーティストのビニルレコードが売れると言ってリスクを負うように、雑誌を売り、リスクを負うなんて、とても意味があること。DJ Magは人々の代弁として危険を犯すくらい、情熱的だよね!

Louie Vega

ルイ・ベガ


DJ Magは多くの若者がダンスミュージックについて学ぶための素晴らしいツールだよね。情報はとても重要で、DJ Magは常にそこにあった。巧くやっていなければ25年も続かないよ!

Paul Oakenfold

ポール・オーケンフォールド


今年でDJ Magazineの25周年の誕生日だね。おめでとう! DJ Magはエレクトロニックミュージックの歴史の重要な一部で、僕たちの愛すべき雑誌です!ダンスミュージックのマスメディアは、世界での音楽の発展に重要な役割を果たしてくれたよ!


ここ25年、ダンスシーンでの最も重要な出来事は何ですか?

エレクトロニックミュージックが世界的な音楽へとなった事だね。U2、マドンナと共にツアーをし、ハリウッド・ボウル、マディソンスクウェアガーデン、ウェンブリーと万里の長城でプレイしました。僕たちコミュニティーとして、この音楽体系を誰もが信じられないくらいのレベルまで成長させてくれた。今ではDJはメジャーなラジオ番組を持っているし、僕個人の番組も週ベースで2,500万人ものリスナーが聴いてくれている。今ではCalvin Harris(カルヴィン・ハリス)、Avicii(アヴィーチー)、David Guetta(デヴィッド・ゲッタ)などの超有名なスターが生まれているしね。

Pete Tong

ピート・トン


次に有名になるものを先取りし続けている。長年の変わらないサポートは大切。DJ Magのランキング投票は、当然ながら長年大きな影響を与えてきた。優勝したDJ達はその機会を最大限に活用してきた。10〜15年前に比べて重要かどうかは分からないけど、まだ僕たちの中で一番知られているメディアだよね。


ここ25年、ダンスシーンでの最も重要な出来事は何ですか?

レコーディングプロセスの発達だね。家にあるノートパソコンで曲を作ったりできるようになった。音楽に最初に手をつけるバリアが無くなり、全てが変わった。DJはキュレーターからセレクターと曲セレクターからアーティストとプロデューサーへと変化した事は大改革だよね。また、僕はDJ達とエレクトロニックミュージックのコミュニティーがインターネットによって開かれたグローバル市場へのエクスポートを最初に始めたと思う。

The Prodigy

ザ・プロディジー


まずは、25周年おめでとう! 僕と同じ歳だね…。これに関しては誰もが違う見方があるけど、僕の視点と僕がやってきたことから考えると、インスピレーションを与え、ダンスミュージックをフレッシュで流動的なものにしてきた人と曲と機械などの歴史上の出来事がある。これは決して歴史の授業の年表じゃないけど、自分が重要だと思うことや今まで僕個人に大きな影響を与えたことなど。


ここ25年、ダンスシーンでの最も重要な出来事は何ですか?

ローランド株式会社、ジョルジオ・モルダー/ドナ・サマーの『I Feel Love』、808ドラムマシーン、『Planet Rock』やHashimの『Al-Naafiysh』、Time Zoneの『The Wild Style』などの80年代初期のエレクトロ、ローランドTB-303ベースラインと1988年のアシッドハウス、909ドラムマシーン、Derrick May(デリック・メイ)やJuan Atkins(ホワン・アトキンズ)のテクノ、Akai S900サンプラーとCubase、1989年のUK レイヴシーンとPirate Radio、Shut Up&DanceレーベルやXL RecordingsとThe Prodigyのロンドンのブレイクビーツ、Joey Beltram(ジョイ・ベルトラム)の『Energy Flash』と『Mentasm』、Aphex Twin、ジャングルからドラムンベース、Leftfieldの『Leftism』、ケミカルビーツ、Daft Punkの『Da Funk』、『Firestarter』、『Smack My Bitch Up』とその動画、Ram RecordsとAndy C(アンディー・C)、それからはツアーに行っていたから耳に止まったものは無かったけど、2005年にJustice(ジャスティス)が登場して、Benga & Coki ‘Night、イギリスのダブステップシーン、スクリレックスと彼のアメリカクルー、トラップスタイルが少し・・・それ意外はもう既に誰かがしたことがあるから、忘れてくれ!

Richie Hawtin

リッチー・ホウティン


DJ Magは次世代のアーティストをカバーに載せ、読者達に現在トレンドのものだけではなく次に何が起こるかを紹介し、常に先を見てきた。予測をすることはとても重要で、次に何がくるのかという期待と興奮を保ってきた。また、僕はシーンの始まりからあった雑誌であることが、ダンスシーンの見方や、現在のシーンがどこにあるかという概要、ここまでどう行きついたかにおいて重要度が高くなると思う。人々の記憶から薄れつつあったり、新しく出版されたものや読者が聴いたことも無いような重要人物や出来事を思い返させたりしているからね。


これから数年の中に誰が有名になると思いますか?

今、初期のクラシックハウスとアシッドハウスミュージックが復活してきているようで、この多くの「クラシック」の雰囲気のある曲はその初期にいなかった若い世代が作っているのでよく分かる。新しいレトロなクラシックハウスが躍進し、刷新していくのは大好き。そしてそれが受け入れられている驚きのトレンドは、Larry Heard(ラリー・ハード)のように当時のオリジナルのプロデューサー達が再興させようとしているからか、昔のレーベル(新しいMr Fingersの『Outer Acid』レコードなど)を再訪し、僕たちにクラシックアシッドハウスが当時のように現代の音として成り立つということを示そうとしている。感激だよね!

Sasha&Digweed

サーシャ&ディグウィード


サーシャ「まだあるということが重要だよね。まだ音楽について調べる情報源として使っているし、Top100は誰が何を言おうと年に一度のビッグイベントで、トップに上り詰めることは自分のキャリアの中で最高の瞬間だよね。実はとても大切にしていることなんだ」

ディグウィード「長年の間いくつものダンスミュージック雑誌が出たことを考えると、二つのメインの雑誌がまだ続いているのが嬉しいよね。曲、イベント、テクノロジー、クラブ界隈のニュース、レビューやアップデートなど価値のあるものを読者に届けている。」


ここ25年、ダンスシーンでの最も重要な出来事は何ですか?

サーシャ「スタジオ・AbletonでDJをトライしたのだけど、それはもう辞めたよ。CDJが登場したことが一番大きな出来事だと思うけど、それでもビートマッチングをするので仕事の中核は変わってないよ」

ディグウィード「一番大きな変化はデジタルでDJをすることと、ソーシャルメディアかな。今ではその日にダウンロードした自分の新しい曲の入ったセットを絶えずアップデートしながらツアーに行くことも出来る。同様に、ファンページにこれからあるイベントやライブ動画や写真をアップデートし、ファンとの交流が即座に出来る。15年前は雑誌のレビューを待たなければ、イベントがどうたったかも、DJがどうプレイしたかも分からなかったからね。」

 

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